どうも!イラストレーターのまさひろです♪
皆さんは尊敬する偉人、崇拝する偉人はいますか?
自分はレオナルド・ダ・ヴィンチを崇拝しています。
昔見た「ダヴィンチコード」という映画を見たときに、レオナルドの絵には、こんなにも深い意味が込めてられているのか!?と衝撃を受けて以来、崇拝するようになりました。
時がたってその映画の中で出てくるレオナルドの絵の解釈はフィクションだということを知りましたが、それはどうでもいいことで絵の器の広さを知った衝撃を尊重しています。
好きな偉人がいたら、一度はその方の名言などを見たことがあるのではないでしょうか?
偉人の名言は呼んでいてとても面白いですよね♪
自分はレオナルドがとても好きなのでもちろん彼の名言を見たことがあるのですが、初めて彼の名言を見たときは驚きました。
皆さまはレオナルドがどういう人物だったかご存知ですか?
万能の天才といわれている彼は、絵画のほかにも、建築、数学、幾何学、解剖学、生理学、動植物学、天文学、気象学、地質学、地理学、物理学、光学、力学、土木工学、音楽、などにも携わっており、それぞれの分野でも顕著な業績を残している人だそうです。
今回は、そんなレオナルドの名言から、 起業家精神 を学んでみたいと思います。
皆さまもこの万能の天才といわれる人間の言葉見ると必ず驚かれると思います。
レオナルド・ダ・ヴィンチの言葉

レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452/04/15~1519/05/02)
67歳まで生きた人物はこんな言葉を残しています。
・シンプルさは究極の洗練である。
・その手に魂が込められなければ、芸術は生まれないのだ。
・十分に終わりのことを考えよ。まず最初に終わりを考慮せよ。
・失われうるものを富と呼んではならない。徳こそ本当のわれわれの財産で、それを所有する人の本当の褒美なのである。
・食欲がないのに食べても健康に悪いように、やる気がないのに勉強しても記憶力が損なわれ、記憶したことは保存されない。
・理解するための最良の手段は、自然の無限の作品をたっぷり鑑賞することだ。
・最も高貴な娯楽は、理解する喜びである。
・つねに恐れつつ進まぬ者は、数々の侮辱にあい、しばしば悔いることになる。
いかがでしたでしょうか?
これがレオナルドの言葉です。これが物作りを極めた人間の言葉です。
読んでみて驚かれた方も居るのではないでしょうか?
自分も驚きました。
「あれ?なんか意外と普通?もっとエキセントリックな感じだと思ってた。」と。
自分は数年前にレオナルドの名言を見たときにこのように思って、もっとレオナルドの言葉には哲学的で新しい気づきがあるものだと凄く期待していたんです。
当時はちょっと拍子抜けした感じでした。
ですが、まぁ自分の場合、レオナルドを崇拝していますのでポジティブフィルターを通して「土臭さがあり人間味があって、逆に同じ人間なんだと思える良い言葉!!」と良いふうにとらえました。
そんなふうに思い続けてました。
ですが最近、このあたりまえのように思えることが事が実はとても重要なんだなぁと思うんです。
Room8で開催している勉強会
講師に株式会社アイマーチャント代表の菅智晃さんをお招きしてセミナーをしていただいたときの菅さんのお話を聞いていてそう思うようになりました。
セミナー終盤、菅さんがお話しくださったことなのですが、
若いころ、先輩のすごい人の言葉とか尊敬する偉人の名言とかをいろいろ見ていたけど、どれも”あたりまえ”の事ばかりでピンと来るものはなかった。
しかし経験を重ねていくとその”あたりまえ”に思えることが何事でも凄く重要で大切なことだと気づき、その時に先輩たちがなぜ”あたりまえ”な事を言うのかわかった。
一周回ってその”あたりまえ”のところに戻ってくる。先輩たちは経験を積み重ねて何周もその”あたりまえ”のとこに戻って重要性を認識するに至っている。(菅智晃)
とお話しされていて、自分はそれを聞いて、そういえばレオナルドの名言もめちゃくちゃ当たり前の事ばかりだったと気が付き、この菅さんの言葉とレオナルドの言葉がつながったんです。
レオナルドも超絶多分野の事でプロフェッショナルになり何度もあたりまえの事の重要性を味わっていたから、こんなに基本的な名言が多いのかもです。
レオナルドの他の名言も残っています。
画家は孤独でなければならない。なぜなら、一人なら完全に自分自身になることができるからだ。たった一人の道連れでもいれば、半分しか自分ではなくなる。
(レオナルド・ダ・ヴィンチ)
俺はイラストレーター。
芸術に決して完成ということはない。途中で見切りをつけたものがあるだけだ。(レオナルド・ダ・ヴィンチ)
見切りをつけなかったモナリザが世界一の絵画に。
美しいものと醜いものはともにあると互いに引き立て合う。(レオナルド・ダ・ヴィンチ)
どちらか無くなると”無”になる。
目は魂の窓である。(レオナルド・ダ・ヴィンチ)
窓は二つ通る。相手の目の窓と自分の目の窓。会った人の目を見てみよう。
快楽のうしろには面倒と悔恨をもたらすものがついている。(レオナルド・ダ・ヴィンチ)
独りゴトと二人ゴトの違いですね先生!
質素であることは最も素敵なことだ。(レオナルド・ダ・ヴィンチ)
生きようとするから。
大いなる苦悩なくしては、如何なる完成せる才能もあり得ない。(レオナルド・ダ・ヴィンチ)
全然絵が描けないことばかりだったけど、のりこえた!そうしたらこれから今以上描けていけるということがわかるようになった。
解剖して分かったことだが、人間は死ぬように出来ているのだ。(レオナルド・ダ・ヴィンチ)
そうなんだぁ~
詩人は目に見える表現の中では画家よりはるか下に見られ、目に見えぬ表現の中では音楽家よりもはるか下に見られる。(レオナルド・ダ・ヴィンチ)
わかりづらいことは、わかろうとすることなくわからないとされていってしまうというこだと思う。利便性を追求している形に似ているのかも。
猫科の一番小さな動物、つまり猫は、最高傑作である。(レオナルド・ダ・ヴィンチ)
猫萌えか!
知恵は経験の娘である。(レオナルド・ダ・ヴィンチ)
やる!
星に心をくくりつけた人は心を変えてしまうことはありません。(レオナルド・ダ・ヴィンチ)
やったー♪信じて描き続けよう♪
絵画とは、感じられるというよりはむしろ見られる詩、詩とは、見られるというよりはむしろ感じられる絵画。(レオナルド・ダ・ヴィンチ)
これは絵描きにはわかる。
私の仕事は、他人の言葉よりも自分の経験から引き出される。経験こそ立派な先生だ。(レオナルド・ダ・ヴィンチ)
レオナルドの言葉から起業家精神を学ぶ

レオナルドは経験して自分を作り上げていっているっと言ってるきがします。
レオナルドの名言を見てて「才能」というワードはあまり目にしてない気がします。
「経験」というワードが多かった気がします。
それと「学ぶ」というテイストも。
たぶんはレオナルドも器用であっただろうけど、皆が思うような初めからすべてができるような天才像の人物ではなかったと思います。
天才と本人に言ったらキレられそうです。
様々なことに興味を持ち、チャレンジすることで、多くのことを成し遂げたとおもうのです。
起業家も、レオナルドのように、常に学び続け、挑戦することで、成功を掴むことができるのではないでしょうか。
そう思うと自分もやり続ければいつかはできる!と信じれるようになれます。
今の壁もクリアしていける気がしてきます。
人間がやったことであれば、同じ人間である自分もできないことはないはずだ!(高見真弘)
というのがいつも自分がおもってる事です!!
ただそう思って昔やってた漫画作りは3年やっても一作も作れませんでした(笑)
その時できなかっただけでいつかはできると思ってます!
関係ないですが、ピカソの本名は、
パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ファン・ネポムセノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・シプリアーノ・デ・ラ・サンテシマ・トリニダット・ルイス・イ・ピカソです。
【昔デッサンしたピカソの幼少期の写真】
